多様性は受け入れるべきか…

【多様性】、大切だと思っています。
多様な人や物が存在できる世界は、人がどんな人であっても生きやすいだろうと思えるから。

最近、そんな【多様性】について、また違う方向から考えることがあります。

多様性というのは、それぞれ違いがあるということ。

その違いが相容れないものだったら、どうだろう?

2つの個性があります。

それぞれが自分を出したり引っ込めたりする関係であれば、「お互いさま」ということでいい関係だと言えます。

でもそれが、どちらかが一方的に押し、片方が一方的に押される関係だったら?

(雑なイメージ画像ですみません)

その人が自分の世界を確固としたものにしていて、かつそれが一般的な価値観とは相入れない場合。
そして、その人と接した人が、自分の心身だけでいっぱいいっぱいだけれども「人の一面だけ見て苦手だと感じるなんて失礼だしいけないことだ」と考えてしまうの場合。または、最初は元気だったけれども相手を思いやりながらも相容れないことに疲弊していく場合。

「これ以上はムリ」と感じることはいけないことではない、と私は思います。

こう考えると、多様性が無理なく存在できるケースというのは、
「お互いさま」『お互いに』考えられる場合

と言えるのではないだろうか。
または、どうしても相容れない価値観が接触しないように存在できるようにするか…

これは結局、普通のコミュニケーションでも起こりうることですよね。
どうしても合わない人とは関わらないようにするとか、している人は多いと思います。

それが【多様性】の話になると、「受け入れないのは差別ということだろうか」と悩んでしまう人もいるから、難しい。

他人を受け入れようとする気持ちをベースに持ちながらも、自分の心身を大切にする。

代り映えがしない結論だけど、やっぱりこれなのかな。